ドラゴンヘッド(ノースノード)に向かう旅路はドラゴンテイル(サウスノード)の片付けの道
ドラゴンテイル(サウスノード)と向き合うということ
わたし達は、生まれた時からある時期まで、ドラゴンテイル(サウスノード)での葛藤の人生を生きます。それはドラゴンテイルのテーマと向き合い取り組むことで、やがてドラゴンテイルを「自分のギフトとして使える」ことが約束されているから。
つまり、ドラゴンテイルを自身のギフトとして使えるようになるまでのプロセスまでもが、始めから用意されているということだった!
ドラゴンテイル(サウスノード)を自覚して過ごす
いやぁ。なんだかものすごい1ヶ月でした。
天界のドラゴンテイルの付近を逆行したり順行したりしながら、ずーっと連動している土星のコンビネーション。「蒔いた種を刈り取る」〜「次のサイクルのための種を創る」課題を促されているのですが。
地球規模でそんなテーマに取り組んでいるところに、8月後半から天界の太陽がおとめ座に移動してきて、わたしが生まれた時のホロスコープ上のドラゴンテイルにスポットライトを当ててくる配置に。大変!
生まれた時のドラゴンテイル(サウスノード)にトランジットの太陽が焦点を当てる期間
いつも真っ先に情報をシェアしている友人のドラゴンテイル付近に太陽が近づいてきた瞬間に彼女の周囲で起こったことを見聞きして「わ、おとめ座ドラゴンテイル組、向き合わされるということだろうな」と察知し、友人にアラートを出して、わたし自身も覚悟を決めていました。
そして案の定、ドラゴンテイルが太陽に照らされていた事象通り、本当に、ずーーーーーっと心中穏やかでない、ひりひりハラハラな状態が続いていたのですが、興味深いことに同時進行して
?
ぇ?
え?!
えぇっ?!?!?
と本当にびっくりするような「ギフト」も、たくさん受け取りました。あぁ、これが、ドラゴンヘッドに向かう「ギフト」としてのドラゴンテイルの活用法なのだなぁ。ドラゴンテイルでギフトを受け取っているんだなぁ、と深く深く感じ入りました。
涙のうちに種まく人は 喜びのうちに刈り取る
そして、昔、聖歌隊にいた当時にミサの度に歌っていた聖歌の一節を思い出しました。
「涙のうちに種まく人は 喜びのうちに刈り取る」
大人になってからも折りに触れて思い出していたこの聖歌でしたが、ある時期から「涙のうちに種まく」というネガティブな響きに抵抗感を覚えて、あまり好きではなくなっていました。でも、今回のドラゴンテールワーク月間を過ごしながらこの歌を思い出し、改めて歌詞についてリサーチしながら、突如ストンと腑に落ちたのです。
【因果応報】とは 作用・反作用の法則である
これは旧約聖書の「詩篇」という章の中に書かれています。
詩篇 126:5『涙をもって種まくものは、喜びの声をもって刈り取る。』
「種を蒔けば、収穫は約束されている」という意味で、「因果応報」の概念や物理の教科書にも出てくる「作用反作用の法則」にも通じる宇宙の真理のひとつです。
わたしがこの詩に抵抗感を感じていたのは「収穫が欲しいなら、苦労をしなさい!」と、自分の中で捉えていたからでした。けれど「苦労を選択しなくてはいけない」ということでは、もちろんないのです。なので、わたしは「苦労を苦労とも思わないで取り組む」という手段をとっていました笑どうせやるなら、少しでも楽しめた方が気持ち良いからです。
つまり、
・苦労を選択しないことが間違いではない。
→でも、ドラゴンテイル(サウスノード)と向き合うワークは、「宿題」に取り組むワークなので楽な選択ではない。
→ただし、ドラゴンテイルワークに取り組むと、「喜びのうちに刈り取る」ことは、約束されている!
→なぜなら、過去にやり残した「自分の宿題」を片付けその先に進むことを望んで、魂がわたし達に宿っているから。
トランジットの太陽が生まれた時のドラゴンテイル(サウスノード)を通過する1ヶ月は、宿題に取り組むチャンス
今回、ドラゴンテイルと取り組んだこの1ヶ月間で体感したのは、苦しいことと向き合って、なんとか自分できちんと咀嚼しようと取り組み続けてきたここまでの歩みが、今のわたしにたくさんのギフトをもたらしてくれたに違いない!という確証でした。
そして先ほどの詩篇の「涙のうちに種を蒔く」という箇所は、「泣いてしまう」ほど辛くて苦しいことでも、未来の自分のために「自分の宿題」として取り組むことが、大きなギフトとして自身に返ってくるという現象を、まさに言い表していたんだなぁ、と納得したのでした。
この先の世界を創っていくためには、ドラゴンテイルの取り扱い方、取り組み方を知っておくこと、理解することがますます鍵となりそうです。
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