「カイロン」のテーマは「傷/昇華」。カードの写真はクリスタルの中に浮かんでいる虹を撮ったものですが、クリスタルの虹は、クリスタルの「クラック」、つまりヒビ等の傷がある部分に生じます。内部に傷も内包物も持たないクリアなクリスタルの中には、虹が出ることはありません。光が通過してしまうからです。
「カイロン」は、土星と天王星の間に存在する小惑星ですが、この星はわたし達が生まれた時に身に着けてくる「傷」を表します。わたし達には、生まれながらにしてこの「傷」というマークが付いているのです。そしてこの傷と向き合い、自分で手当をする方法を探して「傷を癒やす」ことを学びます。
この「癒やし」は自身で培った愛のエネルギーの顕れです。心に抱えた傷は目に見えません。「目には見えないけれどそこにある」ことに、カイロンの重要な意味があります。
傷は癒やされることはあっても、消えて無くなることはありません。ですから、癒やさずに放置をし続ければ、傷はそのまま傷の状態を進行させていきます。傷口が塞がって、一見治ったように見えても、きちんと手当がされていなければ傷の状態が悪化してしまいます。
同じように、わたし達が生まれて来た時に選んで備えてきた「カイロン」が示す傷も、何かしらの方法でまずその傷がそこにあることを知り、痛みを認識する必要があります。けれど、心の傷は目に見えないので、そこに傷があることを知るために、その傷が痛み、疼くきっかけを与えられます。
誰かに傷つけられたことも何かに痛い目に遭わされたことも、この観点から捉えると、実は傷つけられたのでも痛みに遭わされたのでもなく、最初からそこにあった傷が外部からの刺激に反応しただけ、ということになります。
塞がった傷口の下で気づかない間に膿んでしまった部分に、何かがぶつかった拍子に、激痛が走って初めて傷が完治していなかったと知ることがあります。この時、刺激を与えたのは衝突してきたものかもしれませんが、痛みそのものは塞がった傷口の奥底で静かに進行していた「傷」が発したものです。
つまり、何かがぶつかってくれたからこそ、そこに痛みが走り、治ったと思い忘れていた「傷」が完治していなかったことに気づけたということなのです。ここで気をつけなくてはいけないのが、「痛い」と感じた瞬間に、とっさにその痛みが外部からの刺激によって与えられたものと勘違いしてしまうこと。
「痛み」を感じた瞬間に、わたし達の防衛本能が働いて自然と自分を守る姿勢に入ります。自分を守る姿勢に入るということは「相手が自分を傷つけた」という思い込みを生みます。そして『傷つけた相手→加害者』『傷ついた自分→被害者』という「加害者/被害者」のドラマに入っていってしまいます。
けれど、ここで理解しておかなくてはいけないことは「傷」は、最初から「痛み」を感じたわたし達の中に、存在していたということです。「あなたを傷つけた相手」は、あなたを傷つけたのではなく、あなたの傷に触れただけなのです。そこに、癒やされていない傷がまだ残っていることを、知らせにきてくれただけなのです。
このことを理解しない間は、心の痛みを、誰か人のせい、何か外部のせいにして、自分の傷と向き合い、自ら癒す、ということを放棄している状態。自分が被害者の立場に立って、相手に自分の傷の責任を転嫁している状態です。「加害者/被害者」のドラマから抜け出して、自身の課題として「癒やし」に取り組む必要があるのです。
わたし達が自身が選んできたこの「傷」のテーマに向き合い、自らの意志で繰り返し「癒やす」試みを重ねるうちに、少しずつ「傷」のエネルギーの痛みは軽減し、傷が変質していきます。若い頃には嫌で仕方のなかったコンプレックスも、年を重ねるにつれ自分で笑い飛ばせたり、愛着を持てるようになったりすることも、そのひとつの顕れでしょう。
これと同じように、子どもの頃に抱えて忘れ去ったままになっていたトラウマが大人になってから浮上したきた時に、正面から向き合って取り組んでいくことも、「傷」の「昇華」へのプロセスとなります。
「心の傷を癒やす」時の「癒やし」は「愛」のエネルギーそのものです。「カイロン」は「自分の傷と向き合う」ことで、「自身を愛する」ことを教えてくれるのです。
見えない「傷」を察知し、そこに向き合うこと、そして、自身を愛すること。これは「目に見えない世界」の存在を受け容れ、「自分を受け容れる」ことで愛を学ぶという、スピリチュアルの学びにそのまま繋がります。
カイロンが、「土星」という物質界の限界地点と天王星という「精神界」の入り口の間に位置しているのは、このことを象徴しています。
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