虐待サバイバー
誰かのせいにしたままで終わらせたくない。そのために麻痺させず、意識を醒めさせていたい。
高度成長期時代の最後の世代に生まれて、昔の言葉で言うところの「スパルタ教育」を受けて育ちました。
父は家庭のことを顧みる間もない企業戦士、母は社会に出たことのない専業主婦の教育ママ。おまけに2人とも帰国子女。機能不全家族の一員として生きていました。そんな訳で、今風に分かりやすく言えば「虐待サバイバー」です。
Survive: Sur + vive 「超えて」「生きる」→生き延びる
母から受けていた虐待
もう記憶も曖昧になってきましたが、幼稚園に上がり、両親の指針で私立の小学校を受験することが決まった頃から、中学生時代までは少なくとも週に1度は必ず泣いていたように思います。
その頃まで、躾けの名の元で言葉の暴力と肉体的な暴力による折檻が続いていたのです。
ですが中学生になり思春期を迎えたある時、これは母による躾けなどではなく、慢性的なストレス発散方法として暴力を振るわれているな、と感じ、意を決して母を叩き返し、その日以来、肉体的な折檻は終わりました。
それでも、議論好きな家風だったこともあり、結婚して自身の家庭を持つまでは、機能不全家族らしく怒鳴り合いの口論はしょっちゅう。完全に距離を置くことができて初めて、少しずついい関係性を築けるようになっていったように思います。
「アダルトチルドレン」の本との出会いから始まった
結婚して最初の子を身籠った時に、このまま母親になったら、母にされたことと同じことをしてしまうのではないか、と怖くなりました。母親になる準備を整える日々の中で「アダルトチルドレン」の本と出会いました。片っ端から購入して、読み漁りました。
そのことをきっかけに、自分自身、家族との関係について、ずいぶんと理解が深まりました。その時に自分と向き合う旅が始まって、その後占い師の道に進む流れに至ったのだと、今では理解しています。
トラウマは、一朝一夕には解決・解消はしない
けれど今でも、母の長期滞在などで長時間一緒に過ごしていると、ギクシャクしてきます。昔、わたしが叱り飛ばされ何日も何週間も許してもらえなかったような、ほんの些細なことを、叱った当人が目の前で平気でやっているのを見るにつけ、平静を保つのが難しくなります。
そんな時には親を責め、過去のわだかまりを言葉にしてぶつけることもします。
それでも母のことを「機能不全家族の中で育った親だから」と理解してもいるし、西洋占星術を扱うものとして、イニシエート占星術を提唱する身として、自身の魂が選び、望んだ環境に生まれてきたことはホロスコープからも読み解いているので、「自分が決めてきたことだから」と受け入れています。
自分を被害者にして終わらせないよう、意識を醒ましていられるよう自戒しています。
人生のドラマをドラゴンヘッド・ドラゴンテイルから紐解く
わたしの魂が目指してきたテーマは「うお座」のドラゴンヘッドが示しています。
「受容」
「許し」
「解放」
「癒やし」
「祈り」
「信じること」
「愛」
だからこそ、そこに至るためのハードルをいくつもいくつも用意してきているようです。そして有り難いなぁ、と思うのです。壮絶な幼少時代のトラウマを、そのトラウマを形成した対象と向き合うことで乗り越えようと努力できるチャンスと時間が、わたしには与えられているから。
今日また、どうしようもなく苛立ちを覚え、それでも頭の中でブレーキをかけて、自分がされた理不尽な仕打ちを100倍薄め、20倍は冷静さを保とうと努めながら、釈然としない思いを吐き出しました。責めたいわけでも憎みたいわけでもない。本当はさっさと乗り越えて許してしまいたいから、手放してしまいたい思いを吐き出しました。
歩き続ければ、いつかきっと
そうしたら、突然頭の中に、思春期の頃よく聞いていた佐野元春さんの「Someday」のフレーズが流れてきました。
『いつかは誰でも 愛の謎が解けて』
ずっと、恋愛ソングだと思って聞いていたけど、もしかしたら、もっと深い普遍的な「愛」も、該当するのかもしれない。
うお座のドラゴンヘッドの応援歌にしようと思いました。
『SOMEDAY』佐野元春
いつかは誰でも 愛の謎が解けて
ひとりきりじゃいられなくなる
オー・ダーリン こんな気持に揺れてしまうのは
君のせいかもしれないんだぜ
Happiness & Rest
約束してくれた君
だからもう一度あきらめないで
まごころがつかめるその時まで
SOMEDAY
この胸に SOMEDAY
ちかうよ SOMEDAY
信じる心いつまでも SOMEDAY
生まれたら、みんな誰でもサバイバーです。
わたしは「虐待サバイバー」だけど、みんなもそれぞれ、決意してそれぞれが決めたテーマを生き抜く「サバイバー」。
「サバイバル」するために、この地球に降りてきてる。
ひとりじゃないよ。
ゲームセットの時まで、同じ時代を生き延びようね。