西洋占星術・ホロスコープを司るということ
ウクライナ紛争、ロシアの開戦
数日前のこと。突然脳裏を「最終戦争」という言葉が過ぎって、その言葉のインパクトに驚きつつウクライナ情勢を案じて見守っていました。
一方で、ロシア開戦のニュースが飛び込んできたときには「これもアジェンダ?」という憶測が脳裏を過ぎました。
外交官だった祖父
「全くもう。21世紀が20余年も経過しても、まだこんな世界」
がっかりするような、呆れ返るような心境になりながら、ふっと、グランパならどんな見解を語ってくれただろう?と母方の祖父のことを思いました。
外交官で、わたしが生まれた当時は大使を務めていた祖父でしたが、5歳の時に死別しました。しかもわたしが初めて日本の地に降り立ったのはその前年、1973年の春。そんなわけでわたしの中では祖父との思い出も、ほんの一握りの幼児の時分のもののまま。
祖父に世界情勢のことを聞いてみたかった、なんて今回初めて念頭に上った考えでした。
虫の知らせ
そこから、探すともなく祖父の名前をインターネットで検索してみました。今までも時折リサーチしていたのです。すると「あれ??知らない画像情報が出ている??」
さっそくクリックして飛んでいくと、なんと祖父が著者だという本が骨董屋さんのネットショップから出品されていたのです!それは一昨年逝去した祖母からも聞いたことのなかった、祖父が生前に残した功績のようでした。
点と点が繋がる
そういえば、と思い出したことがありました。
星解きカード®の出版に向けて一人部屋に缶詰となってガイドブックの執筆をしていた頃、よく祖父のことに思いを馳せていたのです。そしてその少し後だったか、どなたかがWikipediaに祖父のページを作成してくださっていたのを見つけました。
そして一昨年の祖母の葬儀の折に、集まった親戚の叔母たちにWikipediaに祖父の写真を掲載する旨許可をもらったのを、去年、ようやく果たせたばかりだったのです。
「すごいな!やはり祖父にも著書があったんだ。」
執筆中に祖父のことが頭を過ぎったことが繋がり、さっそく母に連絡して聞いてみましたが、母も書籍に関しては今回が初耳でした。
ホロスコープの上に顕れていた兆しの数々
現在、誕生時のホロスコープのドラゴンヘッドの上に、トランジットの海王星がコンジャンクションしつつあって
一生に一度のこのタイミングに、数年前から心づもりをして待機していたのだけれど
去年の今頃20年ぶりくらいに、再度クラウンチャクラが開いて
今年に入ってからは目眩と闘う日々だけれど、これも海王星アンテナとの関連かなぁ、と推察していて
そのトランジットの海王星は、現在、祖父のネイタルチャートの土星にコンジャンクション中
そもそもわたしと祖父は
わたしのネイタルチャートの太陽の上には、祖父のネイタルチャートの冥王星が、
わたしのネイタルチャートの海王星の上には、祖父のネイタルチャートの太陽が、かっつりコンジャンクションしている関係性
わたしのネイタルチャートの海王星/祖父のネイタルチャートの太陽の上に、トランジットのドラゴンテイルが
わたしのネイタルチャートの月の上に、トランジットのドラゴンヘッドがコンジャンクション中
このタイミングで、いきなり登場した祖父の著書
さっそくポチったことは言うまでもありません。
そして気づいたのは、本を購入したタイミングに、わたしのホロスコープ上でプライベート満月が起こっている配置になっていたこと!
寄越してくれたな。
届いた本の中に記載されていた日付から更に浮かび上がったシンクロニシティ
そして、本日、2022日3月1日。待ちに待っていた祖父の著書が届きました。
ページをパラパラとめくっていきます。
やはり、探していた日付の記載もありました。
1955年に日本短波放送の「成人講座」で放送されたという祖父のレクチャー。
1955年7月18日から7月22日までの計5日間に渡っての放送だったことが分かりました。
そして、その時の放送内容が活字となって出版されたのがその年の初冬。
1955年11月3日、と印刷されていました。
前出のホロスコープの上に、更にこれらの日付時の天体の配置を書き込んでいきました。
祖父の生誕時の天体の配置、祖父の本をネット購入した瞬間の天体の配置と、わたしの降誕時のホロスコープを重ねた時にチェックしてあったポイントをピンクのペンで囲って印しておいたのですが
本日届いた小冊子の中に見つけた日付を元に拾い出した天体の配置を更に記入していきました。見事に、先に印していた箇所にピンポイントで天体たちが配置されていました。
上なるもの下の如く、下なるもの上の如し 六芒星のマジック
そして、ここまで来たら、絶対にあるはず。と確信していた星の配置も、やはり起こっていました。
ネット購入した日の冥王星と、祖父のレクチャーが放送された期間の太陽、天王星の間で、オポジションが起こっていました。この位置のオポジション軸は、わたしの降誕時のホロスコープ上にあるミスティックレクタングルと結びついて、六芒星、つまりグランドセキスタイルを形成するのです。
この本が、この時期にわたしの手元に届いたこと。
すべて計画通りに仕組まれていたのだなぁ、と刻まれた六芒星を浮かび上がらせながら、しみじみと。
そして言葉にならない驚きと。
レクチャーの内容も、まさにこのタイミングに届けられた
ページをめくっていくと、祖父がレクチャーした当時の世界情勢は、わたしがそもそもこの本をネットで見つけるに至った出発点とも、驚くほどシンクロしていました。
△真の自主独立が念願
最後に、巻末に述べられていた祖父のご挨拶をシェアさせて頂きます。
『 以上において大変大ざつぱでありますが、戦後の日本の外交の基調とその主な問題について説明いたしました。
私ども外務省員は、上は外務大臣から、下は交換手、タイピストに至るまで、総勢僅かに約一千七百余名で、その中約一千二百名が東京に、残りの約五百名が諸外国に勤務いたしております。及ばずながら相協力して、日夜、愛する母国が名実共に備わつた真の自主独立を完成し、且つ各国との間の共存共栄の理想を達成するために微力をつくしているのであります。皆様の一そうのご理解とご支援により、日本の外交の諸目的が、一日も早く且つ充分達成せられることを祈る次第であります。
お暑い中を五回にわたりご清聴をえましたことを厚く感謝いたします。ではご機嫌よう。さようなら。』
(日本短波放送 『”外交”に関する成人講座』1955年7月18日〜22日放送 より)
『戦後の外交と日本』田中三男 述 / 編集兼発行人 山形誠一
日本国際連合協会 1955年11月3日 発行
またこうして、全ては最善のタイミングで完璧に起こっていると、見せてもらいました。
宇宙に感謝
グランパ、ありがとう🙏🏼💕✨
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