前回の防波堤での瞑想の話は、自分の中ではかなり印象的な出来事だったので、改めてここに書き記しておこうと思う。
おととしの6月、初夏の時期。それまでおうし座宮、ふたご座宮と移行していて、約5年間に渡ってわたしのnatal chartにconjunction嵐を巻き起こしていた土星が、やっとかに座宮にingressする運びとなった頃。
やっと土星がふたごから去っていってくれることになり、重苦しい日々とはさようならだというのに、息苦しい年月の中で、いつの間にか未来を信じることができなくなっていて、先に進む勇気が出せずに臆病風に吹かれてびくびくしていた。
そんな時に、当時わたしが通っていた占い専門学校の恩師である、隈本健一氏に、西洋占星術の演習の授業中に、木星のおまじないを教えてもらったことがあった。木星からの恩恵を授かる儀式。
5年もの長きに渡って土星にこてんぱんにヤられて、すっかり感情が萎縮してしまって鬱屈としていたあたしを心配して下さってのことだったと、今でも感謝している。
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その木星の儀式をした直後のとある良く晴れた日。
その頃はよく上の子が幼稚園に行ったあと、ちび達を連れて旦那と海に散歩に行っていたので、その日も当時のちび達にはちょっと遠出になる、上の写真の海岸まで歩いて出掛けたのだった。
防波堤の上で、あまりにも気持ちよくなって、ちび達は旦那に任せたまま、1人ごろっと横になって目を閉じた。まぶたにうっすらと強い日差しを感じていた。
しばらくすると、閉じたまぶたの中で、ビジョンが見えだした。大きな目がこちらを視ているのだ。ぎょっとしたが、それでもその目を見ていたら、あ、もしかして木星の目かも、と感じた。
すると今度はまた別の目が見えた。とても綺麗な澄んだ瞳。不思議となんだかとても懐かしかった。
誰の目だろう、、、? そして気づいた。その年の年明け早々亡くなった、愛犬、meilingさんの目だった。
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実は当時、わたしは一つの大きな壁にぶつかっていたのだった。
統計学や、科学のように、理論立った占いの手段として選んで、西洋占星術という占術を専攻したはずだったのに、勉強に没頭すればする程、見えてきたのは、科学や合理性といったものとはかけ離れた、常識世界からみたら、多分にオカルティックな、理屈では説明のつかない、目に見えない世界だったから。
数学や物理のように、公式に当てはめてしまえば答えが出てくる、そんな科学的な勉学として西洋占星術を学ぼうと思っていたのに、真剣に勉強しているうちに見えてきた答えは、やはりこの世界には目に見えない力が働いている、ということだった。
そしてわたしはその事実に戸惑いを覚えていたのである。目に見えないことなんて知らなくても、語れなくても、西洋占星術をもってすれば、占いは
成立すると考えていたのに、と。
前出の隈本氏に、西洋占星術を学び始めた頃、言われたことを思い出していた。
見えない世界を内包している占いに、オカルティックな側面があるのも事実です。でもその反面、占いを科学として捉えて、見えない世界を否定する立場の人たちもいます。
もしこの先、皆さんがプロの占い師として占いに携わるなら、ご自分がどちらの立場をとるのか、しっかりと決めておくことが大切でしょう。
見えない世界なんてない、という立場をとるのもよし。
見えない世界を認めるという方は、占いを科学として捉える立場の方から、反発を受けることもあるでしょう。
どちらにしても、占い師として現場に立つ前に、ご自分がどちらの世界観を受け入れるかを決めておくことが大切です。
そんなことをおっしゃっていた。
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この日防波堤で目を閉じていたら、閉じたまぶたの中でこちらを視ている目と目があってしまったわたしだったが、ほんの一年前、隈本氏の授業中にその話を聞いていた当時のわたしは当然のように、目にみえない世界もあるかもしれないけど、わたしには見えない、感じないから関係ない。
関係ない、信じないと思っているわたしに、見えない世界が開けることもないだろうから、わたしはこのまま見えない世界と携わることはないだろう、と信じていた。
それなのに、それからの一年間の間に
あ、わたし、片足突っ込んでしまっているかも
と思わずにはいられない出来事が次々と起きた。
けれど、まだ見えない世界が存在する、見えない力が働いている、ということを受け入れることができずにいた。迷っていた。
木星の目と目が遇って、meilingさんの綺麗な瞳がこちらを見つめていて。
そしてわたしは気づいたのだった。あるか無いかを自分で決めるのではなく、最初から無いと頭で否定してしまうのではなく。ただただ、綺麗な目で見て、受け入れていけばいいんだな、と。
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それからの半年間は、まるで試されるかのように、見えない世界からのメッセージを次々と受け取る日々だった。35才にして、信じられないような経験に、怖くて臆病になったこともあった。けれど、綺麗な目で、いつでも心をオープンにして受け止めようと心に決めていた。
そして半年後、念願の占い師プロデビューを果たす。見えない世界はある、占いは、その見えない世界を浮き彫りにして、見えない力からのメッセージを、相談に来られる方にお伝えしていく為のツールなのだ、というのが今のわたしがとる立場。
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占い師は、見えない世界からのメッセージを受け取る媒介として存在するけれど、媒介する媒体として、クリアでいることが大切。
その意味でも、とても象徴的だったんだなぁ、と今にして思うのが、防波堤の上で入った瞑想状態の時に見えたのが木星の目だった、ということ。
木星は、いわゆるラッキースター。人々に恩恵や保護、援助といったバックアップをしてくれる、良心や善の意識を象徴する星とされる。ギリシャ神話に出てくる、全知全能の神、ゼウス(=ジュピター)の名前を冠していることからも、木星の象徴する事柄がよくわかる。
その次に見えたのが、愛犬meilingさんの綺麗な瞳。
占い師という媒介者として、木星の象徴するところの大いなる善の意識にアンテナをあわせて、クリアな目で世界をみなさい、というメッセージだったのかなぁ、と今は思う。
それにしても、木星と目が遇うなんて(笑)
でもひょっとしてこれも、隈本氏が教えてくれた木星の儀式のお陰だったのかな?!
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4月からはちび達も幼稚園。
わたしはやっと少しずつ、自分だけの為の自分の時間を取り戻すことができることになる。散歩にでかけるのにももってこいの時期。今度はひとりで出掛けてみよう。
まだ少し先のことだけれど、今から楽しみ(^ー^)
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