地震のあった日から、わたしは光を信じることができなくなっていた。
あまりの現実の有様に、いつもなら無邪気に喜んで受け取っていた光のサインを、ギフトとして受け入れることができなくなっていたのだ。
そして理解した。不安や恐れに囚われている時、光は光として受け取ることが難しいことを。不安や恐れは、それまで自分がずっと信じてきた美しい光さえも「不安」「不吉」なことの前兆に変えてしまうことを。
この数日間は、あたしにとっての超個人的なイニシエーションの日々でもあった。
この先、何が起こるか分からない。でも、少なくとも今、この瞬間、わたしは改めて光を選択する。
これは、自分への、宇宙への宣言。
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こちらのブログでは何度か白状していますが、実はわたしは地震の日の少し前まで精神的に絶不調で、多分軽く(?)鬱状態に陥っていました。きっかけ自体は何となく思い当たることもあったのですが、まさかそれをきっかけに、こんなに酷く、長く沈んでしまうとは思ってもいませんでした。本当のところ、なぜ自分がそんなに沈んでしまったのかも、未だによく分かりません。
とにかく一ヶ月以上その状態が続いたので、いい加減自分で這い上がらなくては、と、少しずつ気持ちを切り替えていこうとしていた頃。地震のぴったり一週間前のことでした。綺麗に晴れた日で、わたしはベランダに吊るしてあるハンモックに揺られながら一服していたのです。
その時、目の端に入った太陽に、え??と驚きました。我が目を疑ったのです。太陽の淵がなんだかサイケデリックなことになっていたから!!
その頃、急増した花粉で目のかゆみが激化し始めたので、自分でブレンドしたエッセンシャルオイルをキャリアオイルで希釈して、試しに目の周りにも塗布したりしていたので、そのオイルが目玉の表面に油膜でも貼って、そんな現象を見させているのかな?とも思いました。
もちろん、太陽を直視すれば眩しいので、確認のため指で太陽の真ん中を隠すようにして観察してみると、やっぱり太陽の淵に、カラフルな虹の輪ができてる!そうだ、これ、去年「光冠」を見た時にネットで調べた時に見つけた画像と同じ現象だ、「光冠」の、完全形だ!!
そして慌ててカメラを持ち出して、ベランダで撮ったのが、先日来、あちらこちらに掲載している一連の画像なのです。
この「光冠」という現象を初めて見たのが去年の2月。それ以来の目撃なので、つまり地震の一週間前に見たものが、人生でが2回目ということになります。2回目で、こんなにも美しい状態を見ることができたので、その時わたしは「あぁ、もうあたし、大丈夫だ。」と、この現象を鬱状態からの快復の喜ばしいサインと捉えたのでした。
聖☆お兄さんではありませんが(笑)、何かの節目だったり、何かのお仕事をした翌日だったりに、わたしはよくこういった虹の現象を目にすることがあり、それは天界からの「OK」サインだと、個人的に解釈しているので、この時の「光冠」もそんな吉兆のひとつだと思ったのです。
そして本当はその日直ぐにmixiやらTwitterやらに投稿しようとも目論んだのですが、あまりにも長い間沈黙を続けてきてしまったため、この画像をもって突如復活するのもどうかと、何となくそのままにしてしまいました。
それからきっかり一週間後。20110311、あの日の地震が起きました。
その2日後、20110313に、mixiでも「phenomenon of love」というタイトルで、画像を投稿しました。「愛の兆候」。
でも、その直後から、思わぬ葛藤が生じ始めました。
「果たしてこの光冠は、本当に吉兆だったのだろうか?この画像を今公開したら、ひょっとして、地震の前兆だったのでは…?と、逆に怖がられちゃうかも…?」と。(ちなみにこの時期の光冠は、空気中の花粉の乱反射で起こる現象だそうです♪)
実はその葛藤の予兆は地震の日に、既に始まっていました。
地震あった日の夕刻、津波勧告が出たため近所の山に避難をしに登った時のこと。徐々に沈んでいく夕日に雲がかかり、彩雲のような、光冠のような現象がおきていて、それは美しい光を見せてくれたのです。
でもその時、心の奥でちらりと、あんなに美しいのは、この地震と関係しているからかも…?と不安が過りました。
地震の翌日、20110312にも光のサインがありました。その日わたしは、いつもなら双手を上げて大喜びする「日輪」、つまり太陽の周りに出るまん丸の暈が出たのを見ていたのです。
いつもなら、天界からデッカいOKサインをもらえた、って大喜びする所なのに、この日は、前日の地震のショックが大きくて、しかも、まだ余震も頻繁に起こっている上に避難勧告もなかなか収束せず、この状況が「OK」だとは、心の底からは受け入れ難いものだったのです。
「これがOKなの?本当に…?」わたしは心の中で天界に問いかけていました。いつもなら無条件に「わぁい、ありがとう~♪♪」と受け入れられる光のサインを、わたしは素直に受け入れることができなくなってきていました。
ところがそんなわたしの心をまるで試すかのように「光」のサインはまだまだ続きました。3日後の16日には、再び「光冠」を目撃。人生3度目の光冠です。意を決して、地震に関する記事を投稿し始めた、その日のことでした。
13日から16日にかけて、地震に関するチャートや、自分の中でアンテナが立った過去のイベントの資料チャートをリーディングしながら、徐々にわたしは、やはりこの地震は「間違え」て起こったのでも「わたし達を罰するため」に「悪いこと」が起こったのでもない、と確信しました。それでブログ上で『東日本大震災に寄せて』を発信し始めたのです。
そして、20日のスーパーフルムーンを前に、19日から急遽番外編としてスーパーフルムーンを検証して次々と投稿していき、本編の第2部を投稿し終えて、無事にスーパーフルムーンの満月の瞬間を迎えたのでした。
記事を書くのに必死になっていたため、TVもろくにチェックせずに、ひたすらブログを書き続けていました。わたしの中には、とにかく恐怖心の津波に呑まれてしまわないよう、不安材料をひとつでも取り除けたらという思いと、ひとりでも多くの人が、心の平安を取り戻すことができますように、という祈りの気持ちがありました。
翌日20日のニュースで、ひとりベランダで満月への祈りをクローズした頃、自衛隊の方々による原発への放水作業が終了したこをと知りました。驚いたことに、19日に満月関連のブログ記事をアップロードし始めた時間から、満月への祈りのクローズまでの時間帯が、自衛隊の方々の決死の放水開始~作業終了までの時間帯とほぼ同じ時間帯でした。
あの日、わたしの満月の記事を読んでくださった方も、そうではなくてあの満月をたまたま目にされただけの方も、きっと、あの日命がけで放水作業を行っていた自衛隊の方々のご無事と、放水作業の成功を祈ったことでしょう。日本中の、いや、世界中の人たちが、あの晩の満月に祈りを捧げたのだと思います。
まさにこれが、あの晩の満月が起こしたミラクルだったんだなぁ、と後になって理解しました。
そして案の定、満月の晩が明けた20日も光のサインが用意されていました。
地震からの日々の中で、わたしは再び、光を信じることに決めたのでした。わたしは光を選択します。光が好きだから。わたしの目には美しく輝いて見えるから。その輝きが好きだから。
ありがとう。
愛しています。
SO MUCH LOVE & HUG
hippy “m” 若夏