太陽は1日に約1度移動の速度で黄道12星座の上を移動していきます。
非常に興味深いことに、裕仁天皇の生誕は1933年12月23日朝6:39で、この前日の15:58に起きた「冬至」から24時間が経過していません。冬至は太陽が「やぎ座」に移動した瞬間に起こるので、今上天皇生誕時の太陽は、まだやぎ座の0度に位置しています。
このことは、今上天皇ご本人が「冬至」のエネルギーをとても強く携えていることを示しています。
冬至のエネルギーは「種」のエネルギーです。やがて来る春の発芽のサイクルに備えて、種を支度するのが冬至の時期。このタイミングでどのような種を創って準備しておくかで、春の発芽から収穫までの結果が大きく左右されます。
この要の瞬間が「冬至」で、今上天皇はその瞬間のエネルギーを強く帯びていることが、生誕時のホロスコープに示されているのです。このことは、明仁天皇の価値観の中に「種を創造する」ことが重要なテーマとして含まれることを暗示しています。
さて、ここからぐっと時計を進めます。1989年1 月7日午前6:33昭和天皇が崩御されました。それと同時に迎えた今上天皇即位時、先述した生誕時のやぎ座の太陽の上に、天界では進行形の天王星が滞在していました。これは当時の今上天皇が、まさに天地をひっくり返すような人生の大きな変化を迎える時期であったことを示します。
また、前夜1月6日遅くに進行形の月がやぎ座に入り、今上天皇にとっては生誕時の太陽の上に月が重なるプライベート新月が起きていました。新月は「新しいサイクルの始まり」です。その翌朝に、まさに新しい始まりとなる「即位」の瞬間を迎えることとなったのです。
天界では新しい天皇の即位の門出を祝うかのように、今上天皇のプライベート新月を起こした月は、直後に「大きな変化」を表す天王星の上を通過し、その日のお昼には先述した、やぎ座滞在中の土星、午後には海王星の上を次々と通過しました。
そして今上天皇即位の翌日の1月8日未明には、その月が天界の太陽の上も通過していったため「やぎ座の新月」が起こり、天界側でも「新しいサイクルの始まり」のタイミングを迎えたのでした。
今上天皇の太陽は、やぎ座の0度。1月6日の23:17に、この太陽の上を月が通過して、皇太子だった当時の明仁天皇のプライベート新月が起こりました。天皇即位の翌日の明け方4:22に天界側の新月が起きましたが、太陽も月もやぎ座の17度の位置に揃ったことで起こった新月でした。
月は、タイミングが整ったものごとのスイッチを入れる役割を持つとされていますが、昭和天皇崩御と今上天皇即位の前後の28時間という短期間の間に、「やぎ座」の方角で、これだけの重要なスイッチを次々とオンにしていったのです。
何もかもが、まるで宇宙規模で用意されていたかのような、完璧なタイミングの数々です。
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イニシエート占星術 【やぎ座の土星と今上天皇退位】壮大な種創りプロジェクトだった「平成時代」③に続きます。
やぎ座が正体を表すように促している「本来の自分」が「蝶」だとすれば、わたし達はまず「蝶」になるために生まれてきたことを思い出さなくてはなりません。そのためにも「魂の計画」を知る必要があります。魂の計画に気づいた状態で生きることが「蝶」という「本来の自分」を生きることなのです。
イニシエート占星術では、イモ虫の状態を「魂の過去生の名残りの中で生きている状態」、蝶として生まれ変わる計画を「魂の目標」と解釈して、それぞれイモ虫の状態をドラゴンテイル、蝶の状態をドラゴンヘッドで読み解きます。イニシエート占星術は、蝶として「本番」の人生を生きる人を一人でも多く増やすことを目的とした星術です。
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